やまだノート

草野球さまに教わった頂いたアレコレ

行動や選択肢にセンスが問われる監督業

学生野球の監督にもお世話になりましたが、草野球のが沢山の監督の下で遊ばせてもらいました。

 

色々なチームで野球をやらせてもらってその度に色んな監督さんを見て感じて「自分だったらこうする」「これは理にかなってる」が肥やしになって、自分が監督の我がチームに生かしているつもりです。

 

自分がストレスの少ない良い監督になって皆が全力で楽しめる環境つくりを常に考えて指揮をとってますが、お世話になった草野球チームの中には自己中心的な監督や選手も居て、その不平不満やストレスから反面教師の方が身になったり、気がつかされたりする事が多いのが本音で「ストレスの無い良い監督になったら選手は育たないんじゃないのか?」とも考えますし、でも自己中心的な監督だと生活もかかっていない草野球クラブチームで選手にストレスを与えたら辞めていく選手が多いのも事実で草野球クラブチームの最も良い有り方を常に考えてますが答えは出ません。

 

今では自己中心的な監督について行ったことが考えの肥やしになって感謝してます。

 

 

色々なチームで試合の帰りの車の中や食事に行くと、選手の愚痴や監督の采配やそんな話になりますが、みんな良く見てるし感じてるし思うことは大体どの選手も同じようなことに不平不満を抱えるのです。

 

プレイの良し悪しなんかよりも試合以外での態度や言動の方にストレスを感じる事が多く自己中心的な発言や行動に皆ストレスを感じるのです。

 

例えば監督が自分への名声が欲しくて勝ちに拘りすぎて、大事な試合で過去の野球実績のある欠席の多い選手を4番で使ったり、先発ピッチャーにしたり、チームに献身的な野球実績の無い選手を雑に扱って負けてしまったり・・・

 

ありがちな例を出しましたが「どの道を取ったか」「何を選んだか」と小さい選択肢が監督の人間的評価になったり、野球以外での付き合いができるか?っという人生に関わってくるのだとおもいます。 

 

監督や主軸の選手がチーム方針や方向性に合わない行動や選択をすると、周りの選手もやる気を無くし野球へのモチベーションが下がります。

 

 

草野球チームとしてどこまで野球を追求するのか? どこまで野球と真剣に向き合うのか?その方向性を明確にしないと根拠の有る選択は出来ないとおもいます。

 

自分自身がキャッチャーをやっていたのと「本家・野村ノート」にも影響されてますが、「常に根拠のあるサインをだす」のが癖になり実生活や仕事でも生かされてます。

 

僕がキャッチャーで打たれたとき「なぜこの球種を選択したのか?」を他の選手や投手に説明できないとミスをするのが怖くてサインも出せなくなりますし、根拠があって説明できれば、「同じミスを繰り返さない」、「打たれても経験になる」と思えてサインが出せました、監督での采配でも同様です。

 

自己中心的な監督が機嫌によって根拠ない指示や采配されると選手は迷います、仕事でも上司からこんな事は起きますけど、仕事で給料が発生すればまだ割り切れますが、利害関係の無い草野球の仲間にそんな事をすると選手は不満が爆発してやる気が無くなります。

 

我がチームは野球追求型の方向のチームですが、1に「草野球での縁を一生付き合えるものに」2に「勝負に拘る」ここを選択肢の根拠に指揮してます。

 

利害関係が無い好きな野球で繋がった縁、損得勘定無しに真剣な野球バカな仲間になれるのがクラブチームの強み 「袖触れ合うも他生の縁」  

 

こんな根拠で判断し選択し采配するのが今のメンバーでの私の監督業です。